知っている人には今さらなんだろうけれど

知らなかった…。

 

小学6年生か、中学1年生のときだったか、多分『悪魔祓いの浩子さん』だと思うのだけど、その本で谷山浩子さんの初恋と告白、失恋の経緯を読み、うっかりとんでもなく大きな影響を受けてしまった。

本当に、とんでもなく大きな影響を受けたのだ。当時の自分には信じられないような影響を、今。

そして、再会と結婚についても。

 

残念でならない。

作者が透けて見せること自体は、むしろ好ましいこともある

まさか、昨日ふいに思い立って3年ぶりにブログを書いた、そのタイトルが、その次の日にまさかこうつながってしまうとは。

 

ばかだ(褒めてる)。

個人的には、湯気とかハレーションとかで局部が不自然に隠されている方が、「ここに、大人が隠したがる、何かエロいものがあるんだ。どんな形状か知りたくて、オラ、わくわくしてきたぞ」って思うので、描ききってしまうよりもエロいと思っている。

というか、当たり前に描く方が、何の特別感もなくなって、むしろエロくなくなる。

エロって、物体そのものがエロいのではなく、個人が、社会が、文化が、「この物体はエロい」と認識を持つことでエロくなるのだから、「え、おっぱいなんて、乳首なんて、隠すような特別なものじゃないですよ」っていう体でばんばん描いたら、ちっともエロくなくなる。少なくとも、「絵」や「漫画」という文化の中では。

描かないことによって社会から許容されやすくなるのに、描かないことによって、よりエロくなるこの感覚は、個人的にも気に入っているみたいで(他人事)、ブックマークでも、↓のようなコメントを残している。

G.A.W.は新党「たくしあげろ日本」を応援します - G.A.W.

"「女の子がスカートを自分でめくってぱんつ見せている」というところまでが「たくしあげ」の意味です。"ひどい定義だ。ぱんつが見えないぎりぎりまでたくし上げる派の僕を排除する気か。

2010/04/07 16:49

b.hatena.ne.jp

[B! 自衛隊] [B! 自衛隊] 「下着ではなくズボン」 ちら見え、自衛官募集ポスターに批判(京都新聞) - Yahoo!ニュース

下の階層からコメントを移動:個人的には「確定したパンツ」にほぼ興奮しないせいか(パンツが見えないぎりぎりまでスカートをたくし上げているのが好き。見えると興ざめする)、パンツが性的云々ってピンとこない。

2019/03/01 12:01

b.hatena.ne.jp

おっぱぶでの経験から、自分の期待とおっぱいの関係について記しておこう..

うんまあ何となく分かる。自分にとってはスカートのたくしあげ。ぱんつがぎりぎり見えるかどうかまでがピークで、見えた瞬間興ざめする。ああ、布ですね。

2019/03/05 11:07

b.hatena.ne.jp

 

こいつばかだ(けなしている)。

ばかついでに言うと、「これいじょう上げたらぱんつ見えちゃうよぅ…」という羞恥の表情が加わることで、より好ましくなります(なぜか丁寧語に)。ところがね、これがね、たくし上げすぎてぱんつ見えたあげく、女の子も「あ、見えちゃったな」と実感してしまうとね、その瞬間、「まあ、もういいか」っていう諦めに、妙な大胆さが加わって、羞恥の表情が消えてしまうんですよ!はい興ざめェ。

 

…ま、あくまでフィクションでの好ましい表現ということで。

 

さて、本題だ(本題の方が短い)。

今回、とても好ましいと思ったのは、外野からつべこべうだうだ言う大人たちの裏をかくように、アイデア勝負で乳首を描写してみせたことだ。

絵自体のメッセージとしては、乳首がなくても(いや、前述の通り、ない方が)存分に伝えきっているのに、さらに、悪ガキ的発想でいたずらを仕掛ける。

これって、乳首を描写しないことよりも、ものすごく少年誌的な、王道展開ではないだろうか。

私は、そんな少年誌の王道を行くジャンプを応援するために、おそらく十数年ぶりに今週号を買うとしよう。

あ、書き忘れていたけれど、少年誌はおつまみみたいにちょこちょこエロが挟まっていた方がいい派です。

作者が透けて見えること自体は、むしろ好ましいこともある

思うところがあって、3年ぶりに更新する。

anond.hatelabo.jp

 

この方は、

ふとした瞬間に、「あ、今このキャラクター作者の思想を喋らされてるんだな…」とか

「あ、こいつとこいつ多分作者の分身だな…」とか

この女キャラたち、女の皮を被っているだけで所作も考え方も行動も男のそれだなー…とか(趣味が男っぽいとかじゃなくね!しまりん可愛い)

このエピソード作者の別の漫画でも出てきたけどよっぽど好きなんだなー…とか

あ、なんか漫画以外に何もない人生だったのかな…とか

優等生才色兼備キャラなのに怒りの沸点が低い上びみょーにズレてるんだよな…作者怒りっぽい人なのかな…とか

とか何とか考えて物語に浸れなくなってしまうのがつらい。

 

と、作者が透けて見えることで、物語に浸れなくなる、という弊害を挙げている。

ただ一方で、創作物はすべて作者の経験したもの・ことから生まれるので、極論としては、作者の透けて見えない創作物は、ないとも言える。

 

そう思うと、作者が透けて見えて、何が嫌なのか。

自分は、「作者の好きなことを持ち上げすぎたり、嫌いなことを貶めすぎたりする」ことがダメなのだと思った。

 

好ましい例

銀河英雄伝説

<ここから『銀河英雄伝説』のストーリー&ラストに触れる箇所があるので、気になる方は次の段落まで読み飛ばしてほしい>

最近は評判の悪い田中芳樹だが、『銀河英雄伝説』は今も多くの人に傑作と評されている。

それは、おそらく田中の思想である

「最高の独裁政治よりも、腐敗した最悪の民主政治が勝る」

に対して、ストーリーは、

「最高の独裁主義国家が、最悪の民主政治国家を滅ぼす」

となっているからだと考える。

もしラインハルトがヤン(ヤンの言葉の多くは田中の言葉だろう)に倒され、思惑通り内乱が起きて自由惑星同盟が圧倒し、トリューニヒトが全宇宙の代表になっていたら、興ざめではないだろうか?

最後に、民主制の種を残して、歴史が始まる。たったそれだけ。美しい着地点だったと思う。

<ここまで>

 

スネ吉

もう一人、好ましい見え方をしているのは、『ドラえもん』のスネ吉だ。

hen-dora.com

詳細は上のエントリを読んでもらった方がはるかに早いが、スネ吉=F先生のオタク魂を、ドラえもんひみつ道具が粉々に砕くさまは痛快の一言だ。

 

個人的には好ましくなかった例

自分の好きなもの・ことを、キャラにしゃべらせることで持ち上げすぎたり、逆に嫌いなもの・ことを貶めすぎていたりして、「うーん」と思ったものや、読むのをやめたものを挙げてみる。小説も入っている。

・少し前~最近の田中芳樹

・『キノの旅』(『アリソン』シリーズは大丈夫だった)

・『いいひと。』『きみのカケラ』(『最終兵器彼女』はぎりぎり読み切れた)

・『ブラックジャックによろしく』(作者の言動に一貫する独善ぶりは、一周回って珍獣を愛でるような気持ちになっている)

・『美味しんぼ』(1巻の、安価で安全、かつ、そこそこおいしい鶏肉を大量に生産している取り組みにケチつけた段階でもうダメだった。うまいものだけ「うまい!」と言うだけでいいのに)

もっとあるような気がするので、ほかに思いついたらこそっと追加していく。

 (はてなブログで更新するのは初めてなので、勝手が分からない。はてな記法って使えないのか…。最初は限定公開になっていたし)

これはひどい。id:hagexが。

ブログ界の痛快ビッグダディ!? 八木仁平氏とその御家族がブログで活躍 - Hagex-day info
以下に記すことは、お父さんを知っている立場からのポジショントークだと思ってもらっても構わない。
このことは明確にしておいた上で、id:hagexのこのエントリについて意見を表明しておく。
お父さんをさらす意味ないだろ、と。


やぎろぐがやっていることについて、その全てを知っているわけではないけれど、
その名前をネット上で見かけるたび、倫理上ダメなことをしているっぽいなあ、と思うことがほとんどだったし、
好きか嫌いかといえば、視界に入ってほしくない、というのが偽らざる心境だ。

そのやぎろぐが、僕の知っている人の子息だと知って、
「何であの立派なお父さん*1から、やぎろぐが育つの……」と驚愕したのも事実だ。

だけど、さ。

別にお父さんが「やぎろぐ」の倫理上アレな行為をやらせているわけじゃない。
「親なら子供が道を外していたら注意しろ」みたいな言い分もあるかもしれないけれど、
やぎろぐももう、いい年した大人なんだから、親の責任をいつまでも問うのもおかしなものだろう。

加害者の親を引っ張り出して何か言わせようとするマスコミや、
「ぼくのかんがえた正義」を振りかざして、加害者家族などに嫌がらせをする一般人が
ただただ醜悪なように、
やぎろぐの非道を語るのに、「親」という以外に関係もないお父さんや、その職業、そしてブログをさらすのは醜悪だと思う。

ましてや、

ちなみに、パパンのブログを見つけて、今年の3月1日はてなブックマークをしたのですが、速攻で「コメント一覧は非表示に設定」にされて笑ってしまった。

なんて書いてるけど、別に攻撃的なこととかデマとかを書いてるわけでない、一般人のブログのコメント一覧なんて、非表示にしようが自由だと思う。
それをわざわざあげつらって笑うなんて、ネットに毒されすぎじゃない?

ともあれ。
これはある意味美意識の問題だし、id:hagexがそれをよしとするなら勝手にしろとしか言いようがないんだけど、
僕はid:hagexの今回の行為を醜悪だと思ったし、そのことを表明するのも勝手にさせてもらった。

追記

親は関係ねえだろ、親は - 今日も得る物なしZ
杏萌えさんがほぼ同じこと書いてた。

*1:このお父さんと、最初にお会いしたのは経営者交流会だったと思うけれど、たまたま居合わせた、経営者でもない、年齢も2回りぐらい違う僕に対して、対等、というより、へりくだって接してくださったことが、今も印象に残っている。また、経営者としても、「会社は経営者でなく、従業員や社会のために存在する」という思いを原点に、実際に待遇などへ反映させようと努力していることをうかがい、感銘を受けたものだ。ファンといって差し支えないので、客観的に立派かどうかは分からないが、ここでは主観としての心の動きを述べているので、「立派」といっていいだろう。

新規のお店に行くということ


それがいいことかどうかはともかくとして。

友人知人などの推奨でもない限り、新規のお店、ましてや常連同士で固まりやすい、個人経営の居酒屋を開拓するのって、本質的には結構難しいことだし、
そういう情報がないならば(ないからこそ)、勇気を出してえいやっと飛び込んでは、当たったり外れたりしながら開拓していくのが、一つの面白さというか、楽しみでもあると思う。

だから、開拓するときは、1人か、気心の知れた少人数でやるのがいい。
外れだったときの被害を最小限に食い止めるという意味もあるし、
外れなら外れで、「あの店は合わなかったね、外れだったね」と、内輪の笑い話として消化できるからだ。
言い換えると、外れをつかんだときに、笑い話にできないような相手と、新規開拓してはいけない。
ましてや、大事な人を連れて行くなら、どこの誰かも知らない人間がつけた評価なんて、絶対に当てにしてはいけない。

−−−

さて。

もう食べログは信じない
を読んだ。

一読して、追い出された理由に関する、書かれていない情報も多そうに感じたので、店主・店員や常連客に対して思うところは特にない。
ただ、本当にここに書かれた通りならば、この店はいずれ死ぬ。
一見さんを冷遇するような常連をつけてしまった店の前途は、死ぬ以外にないからだ。

それはさておき。
食べログを信じたことが、この書き手の一番のしくじりかというと、そうではなくて、
もちろん、食べログをはじめとする口コミサイトの情報自体、信じるに値するものではないのだけれど、
このケースの場合、「新規店に飛び込む」という行為に対する覚悟を持っていなかったことが、悲しい思いをした原因だと思う。

全体的に見れば、食べログとかの口コミサイトによって、新規開拓の敷居も、外れを引く確率も下がっているのだろうけれど、
じゃあ、実際にお店に入ってみて、実際どうなのかとなると、
冒頭に書いた通り、本質としては、飛び込みと何ら変わりない。

なぜなら、書かれている口コミなんて、誰が、どんな感情や意図を持って書いたかも分からないし、
読み手がどういう好みを持ち、
どう使いたいかを知って書いてくれているわけでもないからだ。

そもそも、口コミサイトの情報だけでお店の全てが分かるかといえばそうではなく、
来店した時間帯とかそのときの客層とか(この例でいえば、常連が一人もいないタイミングなら、どうだったろうか)、
あるいはお店の仕入れ状況や、その日に入っているアルバイトの質、さらには店主・店員の気分や体調なんかでも、
印象や感想は全く異なってくるだろう。

もっというと、そういう種々雑多なベクトルを持つ情報を、ただ1つに集約させる「点数」という評価値は、
ちょっと前に騒動になった点数の重みづけやら金で買う云々という以前に、
評価値として、意味のないものだと認識している。


話を戻すと、先の書き手に対していうならば、

どれだけ口コミの集積しているお店だとしても、
どれだけ評価が高そうに見えたとしても、

初めて行くお店はやっぱり初めて行くお店であり、
外れを楽しみ、仲間内で笑い話に昇華する覚悟を持つべきだったのだろう、と。

だから、今回の不運は、食べログを信じたことでも、追記にある

タイトルは「もう個人経営居酒屋は信じない」が適正ですかね?

でもなく、
「外れたときの覚悟を持っていないのに新規のお店に飛び込む」という、性格に合わない行為をしたことが原因なのだと思う。

−−−

あとは余談。

こういう話の流れで、
食べログなどの口コミサイトは、営業時間や所在地を確認するもの」
と言う人がいて、それは95%正しいのだけど、
実家の食堂が、食べログでは営業時間と定休日が間違えられていて、Rettyに至っては、加えてアクセスの記載もでたらめだということにこの前気付いたので、100%信じない方がよいようです。
誰かが親切心で書いてくれたであろうことは分かるので、その気持ちには感謝申し上げたいのですが……。

高嶋ちさ子氏に対する私感

子供の3DSを破壊した高嶋ちさ子のウソ | N-Styles
を受けての、
茂木健一郎 公式ブログ - 高嶋ちさ子さん、謝罪するも「ウソ」のニュースに思う。 - Powered by LINE
を読んだ。

みなさんは、どのようにお考えになりますか?

僕はこう考えた。

高嶋氏は、自分および自分の教育論・教育方針をよく見せるためにウソをつき、そのウソを広めようとした。

それが高嶋氏のパーソナリティーだというなら、僕はそういう人に対し、個人的な感情として、信用を置かないし、置きたくない。

つまり、僕の思いは、批判ではなく嫌悪である。
(自分個人についていうならば、嫌悪を元にした批判をする気はなく、たとえそれをしたところで、書き手である自分も、読み手も、もちろん高嶋氏も、得る物は何もないだろう)

一方、そんな高嶋氏のパーソナリティーを好ましく思う人もいるだろう。それはそれで結構なことである(嫌みではなく)。

高嶋氏のお子さんについては、今回のことで、母が「自分のためのウソをつく人間」だと知ってしまったことに対し、痛ましく思っている。

お子さんには、そんな高嶋氏を反面教師として、強く生きてほしい、と願ってやまない。

何やってんだ!今の私

女子大に入り、今の女子大生活に満足している私だが、時々ふと今の自分に疑問を持つことがある。

女子大というからには、教授や講師陣を除けば、大学の中で存在するのは女子か女性かメスか♀。女性比率でいえば、タービンズを凌駕し、ネネカ隊に迫る勢いである。あえて言おう、メスであると!
最初は異様に感じたものだが、慣れてしまえば天国である。下ネタは言い放題、笑い放題。人前で放屁しても眉をひそめられることがない。これが、以前は良妻賢母を校訓とした女子大の実態である。きっつー。

もちろん、女子大生の中にも二種類いる。それは処女か非処女か、なんて話ではない。本当に真面目で、勉強したい、あわよくばいい会社に就職したいと考える、意識の高い女子大生か、近づきつつある自分の賞味期限を意識しつつ、今ほど輝ける人生を送れる季節はないからと、私生活を充実させようとする女子大生か、である。なお、私がどちらのタイプであるかといえば、断然後者である。前者の後者ではない。後者の後者だ。

なるほど私も毎日社畜のごとく、決まった時刻に起き、決まった電車の決まった車両に乗って、決まった中年男の加齢臭をかぎながら学校にも行くけれど、それは勉強するためというより、友だちと楽しくおしゃべりしたいからだ。42歳・求職中の元課長なら1時間5000円取られるスキンシップ込みの濃厚サービスも、女子大なら無料である。

男性とのファーストコンタクトにも積極的だ。コンパのお誘いには、私は「はい」か「YES」かで答えている。メイクに服装にと気合を入れ、今日こそは強襲装甲艦ハンマーヘッドの侵入を許してしまうのではないかと夢に見つつ、数時間後、破れたものが膜ではなく夢であったとしても、またハンマーヘッドの話ばかりしているのである。

だがしかし。そんな一喜一憂の渦中では考えが回らないのだけど、ちょっとした時に、私何やってんの?って思うことがある。
所詮女性大生。頑張ったところで、メイクもファッションも高校生に毛の生えた程度の、背伸びも痛々しいイケてない女子大生である。私は小学生ですでに毛は生えていたけれど。
持っている服にもメイクにもそれほどお金をかけられないし、丸の内界隈の意識の高いOLと比べれば安っぽい。
なのに、何でこんなに頑張るのだろう。
女子大生という今しかない輝きをもっと出せばいいじゃんと思う一方で、こんな生活を一度リセットしたいなって思ってしまうのだ。

リセットボタンを押すことができたなら、どんな自分に生まれ変わるのだろうか。勉強は、バイトは、濃厚サービスは……。
リセット後の希望は特にない。ただ、いい波には乗りたいとは思っている。具体的には、稲村ジェーン。20年に一度訪れるという伝説の大波に。
生まれて20年、希望の轍を膨らませてきた私だが、あと少し何かがあれば、何か少し勇気があれば、リセットボタンを押さずとも、伝説のハンマーヘッドを膨らませる大波が訪れるのだろうか。そんなことを日々考えているのである。

(この文章はhttp://www.corylog.com/entry/2016/02/22/084817を読んだ後、42歳のおっさんと20歳の女子大生になりきりつつ、タイトルの言葉を数十回頭の中でリフレインさせながら62分間でリライトした)