作者が透けて見えること自体は、むしろ好ましいこともある

思うところがあって、3年ぶりに更新する。

anond.hatelabo.jp

 

この方は、

ふとした瞬間に、「あ、今このキャラクター作者の思想を喋らされてるんだな…」とか

「あ、こいつとこいつ多分作者の分身だな…」とか

この女キャラたち、女の皮を被っているだけで所作も考え方も行動も男のそれだなー…とか(趣味が男っぽいとかじゃなくね!しまりん可愛い)

このエピソード作者の別の漫画でも出てきたけどよっぽど好きなんだなー…とか

あ、なんか漫画以外に何もない人生だったのかな…とか

優等生才色兼備キャラなのに怒りの沸点が低い上びみょーにズレてるんだよな…作者怒りっぽい人なのかな…とか

とか何とか考えて物語に浸れなくなってしまうのがつらい。

 

と、作者が透けて見えることで、物語に浸れなくなる、という弊害を挙げている。

ただ一方で、創作物はすべて作者の経験したもの・ことから生まれるので、極論としては、作者の透けて見えない創作物は、ないとも言える。

 

そう思うと、作者が透けて見えて、何が嫌なのか。

自分は、「作者の好きなことを持ち上げすぎたり、嫌いなことを貶めすぎたりする」ことがダメなのだと思った。

 

好ましい例

銀河英雄伝説

<ここから『銀河英雄伝説』のストーリー&ラストに触れる箇所があるので、気になる方は次の段落まで読み飛ばしてほしい>

最近は評判の悪い田中芳樹だが、『銀河英雄伝説』は今も多くの人に傑作と評されている。

それは、おそらく田中の思想である

「最高の独裁政治よりも、腐敗した最悪の民主政治が勝る」

に対して、ストーリーは、

「最高の独裁主義国家が、最悪の民主政治国家を滅ぼす」

となっているからだと考える。

もしラインハルトがヤン(ヤンの言葉の多くは田中の言葉だろう)に倒され、思惑通り内乱が起きて自由惑星同盟が圧倒し、トリューニヒトが全宇宙の代表になっていたら、興ざめではないだろうか?

最後に、民主制の種を残して、歴史が始まる。たったそれだけ。美しい着地点だったと思う。

<ここまで>

 

スネ吉

もう一人、好ましい見え方をしているのは、『ドラえもん』のスネ吉だ。

hen-dora.com

詳細は上のエントリを読んでもらった方がはるかに早いが、スネ吉=F先生のオタク魂を、ドラえもんひみつ道具が粉々に砕くさまは痛快の一言だ。

 

個人的には好ましくなかった例

自分の好きなもの・ことを、キャラにしゃべらせることで持ち上げすぎたり、逆に嫌いなもの・ことを貶めすぎていたりして、「うーん」と思ったものや、読むのをやめたものを挙げてみる。小説も入っている。

・少し前~最近の田中芳樹

・『キノの旅』(『アリソン』シリーズは大丈夫だった)

・『いいひと。』『きみのカケラ』(『最終兵器彼女』はぎりぎり読み切れた)

・『ブラックジャックによろしく』(作者の言動に一貫する独善ぶりは、一周回って珍獣を愛でるような気持ちになっている)

・『美味しんぼ』(1巻の、安価で安全、かつ、そこそこおいしい鶏肉を大量に生産している取り組みにケチつけた段階でもうダメだった。うまいものだけ「うまい!」と言うだけでいいのに)

もっとあるような気がするので、ほかに思いついたらこそっと追加していく。

 (はてなブログで更新するのは初めてなので、勝手が分からない。はてな記法って使えないのか…。最初は限定公開になっていたし)