一発屋を揶揄する意味でなんて使わないし使う理由も機会もない

http://anond.hatelabo.jp/20090606035828
アーティストに対する「一発屋」という揶揄は何故発生するのか。: 不倒城

僕自身は一発屋というレッテルを基本的には使わないし、例えばいわゆる一発屋と呼ばれがちなアーティストを目にして反射的にああ一発屋だと思うこともあるが、少なくとも口に出さないし書きもしない。そもそも自分の中では一発屋という単語に揶揄の響きを持っていないのだけど、世間には揶揄する意味で使っている人がいるのも、このレッテルを嫌がる人がいるのも知っているからだ。一発当てたその背景には豊かな才能の鉱脈が存在していることを僕は想像できるし、その鉱脈を賞賛するならともかく、たまたまその鉱脈の一端が顕れた、という事象に対し揶揄する必要性など全く感じない。感じないどころか、揶揄する意味も分からない。

ただし。

もし一発屋という単語を揶揄するために使え、どうしても使えというのなら、僕は、以下の条件に当てはまる人物にこそ使うだろう。
(1)(僕の主観として)実力不相応に売れて、あるいは知名度が高まり、それは幸運というか、めでたいことではあるのだけど
(2)その数字を自分の実力と勘違いして
(3)勘違いだけならまだしも、天狗になって周囲の眉をひそめさせ
(4)しかし本来の作品は、クオリティが全く向上せず
(5)向上していないのに勘違いしているから、次も売れる、次も数字を残せるなどと変に数字数字とこだわったあげく
(6)その後全くお話にならない
(7)40歳以上の人間
果たしてこんな「一発屋」がいるんだろうか? 僕には全く想像つかないし、たぶん、いないんじゃないかな。なぜなら、人間って、思ったよりも誠実で、思ったよりも美しい存在だからだ。

それはそうと。

このエントリを書いているとき、僕はどういうわけか『ほめ子さんの世界やおい童話シリーズ』の、とある一編が脳裏に浮かび続けていた。同シリーズは『うさぎ×かめ』『ぐり×ぐら』『はだかのおうさま』『かちかちやま』『三銃士』など名作ぞろい。「一発屋」とは無縁の存在なのだけど。しかし、まあ、もののついでだ。せっかくだから、最後に紹介してみたいと思う。

トム・ソーヤーの冒険

おひるねのじかんだよ
おねえさんがごほんよんであげるね
「トムとハック ししゅんきのおとこのこが ふたりいて なにもおこらないはずがありません
じゃれあう うちに ひがついたハックが ぐうぜんをよそおって トムをおしたおしました
『トム なんかおれへんなんだ おまえといるとそうなんだ トム』
ハックのこうどうに ぼうぜんとしたトムでしたが ハックも じぶんとおなじなやみを
かかえていたことに あんどしました 
どうじに ミシシッピーリバーのながれが ふたりをおしながします 
『ハック しようぜ』
とぼしい せいちしきを どういんして ふたりは はじめてのぼうけんにたびだちます
トムはおおしく かいぞくきをあげました しゅっこうのあいずです たからはどこだ あなをほれ
『おれのおやじがさ たしか こうしてたんだ』
そういってハックが とりだしたのは あくみょうだかい ひとごろし 
ディスイズ インジャン・ジョー ディスイズ インジャン・ジョー

僕が以前ブックマークしていたページhttp://futaba-info.sakura.ne.jp/mori/news/log/0174.mhtは消えてしまったけれど、Internet Archiveなどを使えば、この素晴らしい作品に、また、会いに行くことができる。

それにしても、なぜこの作品が思い浮かんだのか、理由が全く分からない。