1+2×3+4がなぜ21にならなかったのか?
四則演算の秘密 - 「なぜ足し算引き算より、掛け算割り算を先... - Yahoo!知恵袋
「なぜ足し算引き算より、掛け算割り算を先に計算するのですか?」
という質問に対して、「それはルールだからです」とか
ときには質問者を馬鹿にするような回答が多々ありますが、
(略)
確かにルールといえばルールなんですが、
もっと論理的な理由や深い起源のようなものがあるはずだと思います。
ベストアンサーがよく分からない。
ご質問にあります、なぜ「加法より乗算を優先するのか?」それが上の集合Rの公理(5)である分配法則なんです。
これは「加法より乗算を優先する」という決め事が先にあるから、このような記述で法則が表せているだけなんじゃないか、とも思うのだが、そこのところはどうなのだろう。
小学校の間で何の理屈もなく、「ルール」だと教え込まれたでしょうが、実数というものが可換体であることを前提としているからこそのお話なんです。
小学校の先生ならば、「実数の集合」が「可換体」、「有理数の集合」は「整数の集合の商体」であることは知っておくべきでしょう。
算数に興味の強い生徒が出てきて、「何で掛け算は先にやるの?」「何で通分ができるの?」と聞かれても、
「ルールだからね。」とか適当な回答じゃなく、「可換体」や「商体」という難語は使わないまでも、理屈やメカニズムはちゃんと答えられるように。
「ルールだからね」と打ち切るのではなく、理屈やメカニズムを説明するのはいいのだけど、これをどう翻訳して、小学生にも分かりやすく伝えるべきものなのか、正直、さっぱりイメージできないのだ。
そもそも、この解答は「論理的な理由」かもしれないが、「深い起源」について説明しているかいうと、それも僕にはよく分からないのだ。
ということで、「もし自分が小学生だったら、どう教えられれば納得できそうか」、または「もし自分が小学校教師なら、どう教えれば生徒は納得しそうか」という観点から、四則計算の優先順位が定まった「深い起源」を推測・推理してみたい。
なお、当方は数学のド素人であり、大学入学と同時に投げ出したクチだ。
そのことは、上で「分からない」を連発していることからも明らかであろう。
数学者に笑われる覚悟はできている。
でも、笑うにしても、笑うだけでなく、ついでに正しい答えを導いていただければ、大変うれしい。
前提条件
この推測をする前に、二つの前提条件を考えた。
それは、「数字はもともと、ある事象について、客観的かつ具体的な量を表すために生まれたものである」ということ、また、「その量の変化を知るために計算が生まれた」ということだ。
たぶん、この前提条件はさほど間違っていないと思う。
数字の抽象性が先鋭化し、数字と数式で一つの文法が形作られるようになったのは、ずっと後ではないだろうか。
また、この考え方は、小学生にも理解しやすいはずだ。
何しろ、小学一年生のころから「さとる君は5このりんごを持っています。そこからお母さんが2こりんごを持っていきました。さとる君はいま、何個のりんごを持っているでしょうか」といった、実際に起こりうる事例を文章化した算数の問題に接しているのだから。
1+2×3+4の三つの答え
この前提条件の上で、では、1+2×3+4の答えは何か。
実は、へりくつをこねれば、いくつもの可能性が考えられたのだけど、代表的なものとして思いついたものを3つ挙げておく。
「11」「21」そして「解答不能」だ。
A.「回答不能」
まずは「解答不能」について。
なぜ解答不能かというと、元の数式には単位系が書かれていないからである。
というのも、前述の式は、もしかしたら
1(kg)+2(km/h)×3(h)+4(m2)=?
かも、
1(sec)+2(kg)×3(m)+4(kg)=?
を表しているかもしれないからだ。
これでは数字を足しようがないし、足す意味もない。
かけ算にしても、前者は一応「6(km)」といえるけれど、後者の2(kg)×3(m)って、どういう量になるんだろ?
文章題でいえば「さとるくんは1kgの荷物を抱え、時速2キロで3時間歩いて4平方メートルの土地を買いました。さて、何でしょう?」といったところだろうか。面白かった時代のダウンタウンを彷彿させる不条理さだ。
つまり「加減算は単位が合っていないとできない。そして、この式は単位が分からない。だから解答不能だ」というのも一つの答えではないだろうか。
B.「21」
次は「21」について。
これは、例えば次のような単位であった場合に成り立つ。
1(km)+2(km)×3(km)+4(km)=21(km^2)
文章にすると、「さとる君は元々東西1km、南北3kmの土地を所有していたが、このたび東に2km、南に4km延長して所有できることが決まった。このことにより所有できる土地の広さはどれだけか?」といったところか。
このとき、四則演算の優先順位通りに2(km)×3(km)から計算すると、答えは、あえていうなら「5km+6km^2」となり、11(単位不明)にはならない。
言い換えると、単位系が分かっていれば、カッコがついていなくても、四則計算の優先順位を無視することが明らかな場合もあるのだ。
C.「11」
最後は「11」。四則演算の優先順位通りに計算したときの解答でもあるが、これは、次のような単位の場合に成り立つ。
1(km^2)+2(km)×3(km)+4(km^2)=11(km^2)
文章にすると「さとる君は元々1平方キロメートルの土地を持っていたが、このたびお母さんが東西2km、南北3kmの土地を、よしえさんが4平方キロメートルの土地を譲ってくれた。さとる君が所有する土地の広さは合計何平方キロメートルになったか?」というところだろう。
なお、A.B.C.を見て明らかなのは、「かけ算なら単位が違っても計算できなくもない」「かけ算は、かける前とかけた後で単位を変える力がある」ということである。
なぜ「21」の決まりにならなかったか
数式がまだ一つの文法を形作る前、Aはともかくとして、BもCも「起こりうる事象(必要に迫られて計算する可能性)」としては等価である。
むしろ、Bにおいては、左辺の数字の持つ単位がすべて同じなのだから、「同じ単位だから、単位は省いていいんじゃね?」などと偉い人がひらめいて、「加減算を優先し、乗除を後回しにする」という規則ができても何ら不自然ではない、ように思える。
そういう規則と決まれば、Cのケースは「1+(2×3)+4」と表せばいいのだから。
ならば、なぜ今のように「乗除を優先し、加減を後回しにする」という規則になったのか。
その理由を、最初に提示した前提条件に立ち返って、次のように推測した。
すなわち、
「最終的には
『自分は、ある物を、合わせてどれだけ所有しているか、または、どれだけの所有権を手放したか』
『他者の持つ物と合わせると、どれだけの量になるか、または、他者と比較してどれだけ多く持っているか・いないのか』
を知りたいと考えたから、わざわざ数字を持ち出して計算する人が多かったのではないか」と。
この場合、どちらも前者は加算、後者は減算が「最後の計算」となり、今の四則計算の規則にも合致する。
一方B(乗算が最後)は、面積こそ出てくるものの、それが「どういう役割や意味を持つ」のか−−「さとる君の持つ他の土地と合わせて、結局どれだけ所有しているのか」「さとる君が持つ土地は、たかし君の持つそれよりも広いか狭いか」が見えてこないのだ。
また、乗除を優先すると、いろいろ都合の良いこともある。
前述のように、乗除算には「単位を変える力」が備わっているから、「まずは乗除算で単位を整えて、統一されたところではじめて加減算をする」という流れにも合致するのだ。
なぜ優先順位をつけたか
とはいえ、Bの場合もCの場合も考えられるなら、計算する順番をその都度カッコなどで示せばいいのでは、という考え方もあるだろう。
しかしその場合、煩雑さと見づらさが問題になる。
今の優先順位において、
1+2×(3+4)÷5+6×7+(8+9)×10
と表せる計算式は、もし優先順位が定まっていないと、
(((1+((2×(3+4))÷5))+(6×7))+((8+9)×10))
こんなことになってしまうのだ(これで合っているかな?←と、自分でも首を傾げる段階で、煩雑かつ見づらい)
結論
つまり、何かを計算しようとした場合、より人の願い、あるいは欲望を満たすために数字を、数式を使おうとすると、「加減算」を最後に回すことが圧倒的に多かったからではないか−−。
これが、僕の考えた「深い起源」である。
小学生に教えるならば
こんな感じではどうだろうか。
「まだ算数の決まりがちゃんと定まる前、足し算、引き算、かけ算、割り算をどういう順序で計算していくかが決まっていない、むかしむかしのことです。ある人…Aさんがこんなことを考えました。『俺は今、50円玉を7枚、100円玉を8枚、500円玉を5枚持っているけれど、合計でいくら持っているんだろう?』と。その時代には、本当はまだ50円玉も500円玉もないけれど、あったとしましょう。きみが同じ立場でも、いくら持っているか知りたいよね。そうすると、ごく当たり前に、左から書いていけば、こういう式が書けますね」
50×7+100×8+500×5=
「でも、こう書いたからって、7と100は直接足せません。50円玉が7枚あるからって、100円玉が107円にはならないからです」
50×
(7+100)×8+500×5=
「つまり、本当は、こう書いた方が親切かもしれません」
(50×7)+(100×8)+(500×5)=
「ところで、さっききみに聞いたけれど、きみもAさんと同じ立場なら、やっぱり、いくら持っているか知りたいよね。例えばきみは、50円玉を6枚、100円玉を7枚、500円玉を6枚持っているとします。式で表すと、こうですね」
(50×6)+(100×7)+(500×6)=
「Aさんときみ。両方に共通するのは、『まずは50円玉、100円玉、500円玉でそれぞれいくらになるかを計算して、最後に合計しよう』という思いですね。なんで合計したいかとうと、合計すれば、自分がいくらのお金を持っていて、何を買うことができるかが、すぐに分かるからです。つまり、まだ計算の順序は決まっていないけれど、Aさんもきみも、『掛け合わせて、最後に足す』という順番で計算しようと考えたわけです。こう考える人がとても多かったので、『ならば、例えお金に限らなくても、数字を使って足し算やかけ算をするときは、カッコをつけなくても、足し算よりかけ算を先に計算することにしよう。だって、元々みんなかけ算から先に計算してたし、カッコを書くのは面倒だものね』と決まりました」
(50×6)+(100×7)+(500×6)=50×6+100×7+500×6
「引き算も同じです。Aさんが街を歩いていると、とても素敵な服を見つけました。その服には、3330円という値札がついています。Aさんは、『自分の持っているお金で足りるだろうか?足りたとして、手元にはどれだけのお金が残るのだろうか』と不安になりますね。そこで、次のように計算式を書きます」
50×7+100×8+500×5ー3330=
「このとき、5から3330を引かないですよね。5枚という枚数を、3330円で引くなんてやろうとしても、できないし、意味がないからです」
50×7+100×8+500×
(5−3330)=
「本当は、こう書いた方が親切かもしれません」
(50×7+100×8+500×5)−3330=
「でも、Aさんもきみも、カッコがなくても、かけ算を優先し、最後に足し算と引き算をしますよね」
50×7+100×8+500×5−3330=40
「計算したら、3330円の服を買うことができて、手元には40円残ることが分かりました。そして、みんなが同じような順番で計算します。なぜなら、みんな『お金は足りるんだろうか』『いくら残るんだろうか』ということが気になるからです。あまりにもみんなが同じ順序で計算するので、『ならばかけ算は、例えお金のことでなくても、足し算よりも引き算よりも、優先して計算させることにしよう』と決まったのです」
※割り算が盛り込めなかったことはご愛敬でお願いします。
本当の結論
誰か実際のところを教えてください。いや本当に。