山本

昨日の試合はテレビで見ていた。
結果としてあのような展開になったとき、確かに自分自身、大沼さんのことが脳裏によぎったのは事実だ。
また、山本一郎氏が「大石」というタイトルで何か書くだろうな、とも予想した。
予想通りだった。

だが、やはりその内容を見ると、気分が悪くなる。

それは、自分が埼玉西武ライオンズのファンだから、という一面があるのは否定しない。
ファンが諦念を含ませつつ「俺達」とつぶやくのはまだ自虐として許せるが、そうでない人間から言われたくない、と。当人がどれだけ「揶揄したり馬鹿にしたりして言っているんじゃない」と否定しても、揶揄の響きを感じ取ってしまうものだから。*1

ただ、たとえ自分がファンでなかったとしても、やはり今回のエントリに対しては、やるせなさを感じていたと思う。

そのことについて、書く。

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自分はプロ野球選手を、「プロ野球の世界に入る」という大きなリスクを背負ってまで、試合を見せ、楽しませてくれるという、その一点でほぼ無条件に敬愛する。

チームに集まっているのは、アマチュアでトップクラスの能力を示してきた人間ばかり。
それはもちろん、他チームの選手も同じ。
トップクラスばかりが集まっている中で、チーム内の競争を勝ち抜き、他チームとの戦いで結果を出し、頭角を現さなくてはいけない。

資本は自分の体だけ。
練習でも試合中でも、常に怪我のリスクがつきまとい、怪我によっては即選手生命を失うことも珍しくない。

力及ばず、あるいは怪我のため、一度も一軍に上がれぬまま球界を去る選手も多い。
一軍に上がれても、そこで満足するパフォーマンスを見せることができなければ、罵声を背中に浴びる羽目になる。
組織の傘に隠れるという選択肢もない。
球団の求める水準に満たないと判断されれば、即解雇される。

それでいて、プロ野球選手として得られる平均生涯収入は、大卒サラリーマンと同程度。税金が高額になることを考えると、手取りとしてはそれ以下になるかもしれない。

だからこそ、ほぼ無条件に敬愛する。
望むべくもないが、できるなら選手は全員が大成してほしいと願うし、少なくとも幸せな野球人生を送ってほしいと思っている。

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大沼さんは、大沼さん自身がどう感じているかは別として、客観的に見ると、残念ながら、決して幸せな野球人生ではなかった。
大沼幸二 - Wikipedia

もちろん、プロ野球という制度上、それは仕方がないことだ。
全員が活躍できるわけでもない。
全員が大成できるわけでもない。
全員が幸せな野球人生を送れるわけでもない。

だが、いや、だからこそ、第二の大沼さんは要らない。

本来あるべき大沼の精神を受け継ごうという熱き魂

など要らない。

それは例えば、能力が高くても怪我に泣いた伊藤智仁さんの野球人生を、トレースする選手が今後現れないでほしいという祈りと同じだ。
伊藤智仁さんの野球人生をトレースする、第二の伊藤智仁さんの出現を願ってはいけない。
大沼幸二さんの野球人生をトレースする、第二の大沼幸二さんの出現を願ってはいけない。

確かに、伊藤智仁さんの、現役時代の野球人生は、心を揺さぶるドラマだ。
だからといって、心を揺さぶられたいからと、第二の伊藤智人さんの出現を願うのは、根本的に不誠実だ。

同じく、
ブログのネタにするためだけに、
「感動に打ち震え」るためだけに、
大沼幸二さんの魂なるもの、心なるものの継承を願うのは、どれだけ言い繕おうが、根本的に野球人に対して不誠実なのだ。

*1:「大石。そう、もっと四球を。クソボールを。地面を撥ね、打者に当たる荒れ球を。それはテクニックでもコンテクストでもない、心だ。本来あるべき大沼の精神を受け継ごうという熱き魂だ。」なんて書いていて、「揶揄したり馬鹿にしたりして言っているんじゃない」といわれてもな。