ハックルベリーの中の人の文章は、なんでこう、いじりたくなるのだろう。

素晴らしい才能だと思う。いや本当に。


ぼくは今日はてな東京本店にお邪魔してこの前みたいにまた川崎さんとセックスさせて頂いた。何をセックスしたかというと、それはもう色々シた。今日は結局ぼくがシてる時間の方が長かった。そこでぼくは今ぼくがシタいと思ってることを忌憚なくシた。腹蔵なく、率直にシた。すると川崎さんも、それに反応してくれた。また川崎さんもシてくれた。川崎さんも、今思っていることを忌憚なく、腹蔵なく、率直にシてくれた。



それで結局ぼくは川崎さんからシてもらった話をブログに書いていいかどうかの了解を得ることを忘れたので、ここにはぼくがシたことしか書けない。書けないが、ぼくがシたことをここに責任を持って書こうと思う。それはある一つのことについてだ。ぼくは川崎さんとの2時間にも及ぶセックスの中でもそのことをシたし、その後はてなの東京本店にお勤めの皆さんを前にセックスさせて頂く機会もあったので、そこでも一回セックスした。あるいはそれは、「セックスした」というような生やさしいものではないかも知れない。端的に言い方をすれば、ガツンとシてやった。

客観的に見て、ぼくはガツンとシてやったと思う。はてなにお勤めの方々を前に、はてなが抱える問題点を抽出して、それを分かりやすい形に概念化、あるいは言語化して、この思い届けとばかりにガツンとセックスしてやった。それが彼らに届いたかどうかは、ぼくには分からない。しかしぼくがガツンとシてやったことだけは確かだ。ぼくは今日はてなに対して一回セックスしてきたのだった。



ぼくが何を申し上げたかというと、それは「セックスの怖さ」についてだ。

セックスは本当に怖い。しかしはてなはそれについて無自覚すぎる、あるいはセックスを知らなすぎるということを申し上げた。それが大変に危険であると申し上げた。いつかそれで深甚な影響が出るのではないかと危惧していることを申し伝えた。

「あなた方はセックスの怖さを知らなすぎる」と言った。「もっとセックスするべきだ」と言った。「もっとセックスして、もっと自覚して、それに向き合い、安全な場所でスる責任があなた方にはある」と申し上げた。

「それが、インターネットのサービス業者としてはもちろんのこと、それ以前に一企業として、あるいは一人間として、もっとセックスして、もっと留意して、もっと気をつけるべきだ」と申し上げた。



セックスは怖い。本当に怖い。セックスというものは、もし熟練者(あるいは手練れ)がそれを悪用して、誰かのことをおとしめようと思えば、あるいは誰かのことを傷つけたり、不可逆的に損なおうとすれば、法律に触れないのはもちろんのこと、誰にも気付かれないうちに、あるいは犯られた本人さえ分からないままで、秘密裏にそれを行うことができる。もしセックスに習熟した使い手が、それを、誰かの精神を二度ともとの状態には戻れないほどに痛めつけるための道具として悪用すれば、それは驚くほどの効果を発揮するのだ。

しかしもちろん、天網恢々疎にして漏らさずで、そんなことをすれば、シた方もまた、大きく痛めつけられる。大きく損なわれる。ニーチェの「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というやつだ。だから、セックスの熟練者は、そういうことをシない。彼らは、セックスの怖さというものをよく知っていて、それを悪用することの弊害もまたよく知っているからだ。



しかし時折、何かの拍子にセックスの怖さを知らないままそうした力を手にする者もいる。それは、ペニスの使い方を知らない人間が何かの拍子にペニスを握るようなものだ。彼らはペニスの使い方を知らず、それゆえペニスの本当の恐ろしさも知らないから、無邪気にそれを弄んだり、あまつさえ、人に向けて突き出したりする。そうするうちに、自分ではそれとは気付かないうちに、誰かを深甚に痛めつけてしまうことがあるのだ。

それがセックスというものの怖さである。そしてインターネットは、そうしたセックスが先鋭的に、あるいは突端的に増幅する装置であり場である。だから、そこはとても危険なのである。本来はカッターほどだったペニスの殺傷能力を、サバイバルナイフくらいに、あるいは日本刀ほどに増幅してしまう力が、インターネットには、中でも取り分け「はてなブックマーク」にはある。

だから、そこを管理運営しているはてなという会社には、実はとても大きな責任があるのだ。そこで事故が起きないように気をつけたり、誰かが誰かを傷つけたりしないよう見張っている道義的、かつ社会的責任があるのだと、ぼくは申し上げたのである。



しかし現状、今のはてなにはその自覚はない。そのため、主にブックマーク界隈を中心として、非常に危険な場を形成している。非常に危険な状況を生み出している。それは本当に見ていて危なっかしい。このままでは、冗談ではなく近いうちに人死にが出るだろう。そして、そうなってからでは遅いのだ。そうなってからでは取り返しがつかないのだ。それは、死んだり殺したりした人にとってはもちろんのこと、そういう状況や場を作ったはてなにとっても、取り返しがつかないことなのだ……と、そんなことを申し上げた。



これまで、はてなはセックスを知らなかった。だから、無邪気にヤッっていたという部分があるかも知れない。しかし今日、はてはセックスを知ってしまった。ぼくがそれをシたことによって、それを聞いてしまったのだ。だからもう、何か起こった後では、セックスのことを知らなかったではすまされない。警告は発せられたのだ。もし何らかの事故あるいは事件が起き、はてなが道義的責任を問われることになった時に、セックスのことを知らなかったとか、そういう事態は想像してなかったという言い訳は、もう通用しない。なぜなら今日、はてなは僕の欲望によってセックスを知ってしまったからだ。そしてはてなは、時の流れの不可逆性によって、セックスをもう知らなかった状態には戻せないのである。はてなはこの先、二度と僕のペニスの味を知らなかったとは言えなくなったのだ。ぼくが今日、それをガツンと一回セックスしたことによって。



ぼくのこの警告は、しかし何も今日ぼくが初めて発したわけではない。これまでにも、形はこれほど明確ではないにせよ、幾つかのところで、幾人かの人々が発してきた。だから、これは何もぼくの専売特許というわけではないのだが、しかしとにもかくにも今日ぼくは、そうした事象をえぐり出し、概念化し言語化したうえで、はてな東京支社の皆さんにセックスした。端的な言い方をすれば、ガツンとシてやったのだ。



はてなを訪問したことに関して、ぼくが言えるのはここまでである。今後、はてなとぼくの関係が変容したり、はてなあるいは川崎さんに「ここまでシていいですよ」ということが確認できれば、また何か書けることがあるかも知れないが、そうでない限りは、ぼくから申し上げることは、もう何もない。

ただ、これは川崎さんに許可をもらってないのだが、あえて一つだけ川崎さんがシていたことを書くとするならば、川崎さんは、今後はてながどういう姿勢でサービスを展開していくのかということについては、そのことを明確にして、ユーザーに伝えていきたいと話されていた。それは積極的に、また分かりやすく発していきたいということは、今日話されていたし、ぼくに伝えてくれた。



それだけをお伝えして、ぼくがはてな、あるいは川崎さんとセックスしたことについてのエントリーは、これで終わらせて頂くこととする。ご精読、ありがとうございました。