春香というさなぎ。 【ニコニコ動画】アイドルマスター×ナンバーガール 春香 TUESDAY GIRL -坂本P


はじめに

『TUESDAY GIRL』は、im@sMSC2参加作品(D-5)である。

殺伐とした曲調やフォント選択、フラッシュバック、腰に差した刀などから、いわゆる「黒春香」さん的動画であると思われた。ただ一方で、歌詞からは違和感というか、黒春香にとどまらない何かがあるような匂いを感じた。そこでフレーズをぐぐり、全詞を読んだのだが、その瞬間「この後の世界観を見たい」という強烈な衝動に襲われ、一票を投じることにした。
惜しくも予選敗退となってしまったが、im@sMSC終了後、程なくして上げられたのが、この動画である。


で、もう思いっきり正直に言ってしまうと、『TUESDAY GIRL』は、動画として見た場合、完成度はそれほど高くないとは思う(低くもないが)。一つの考え方として、歌詞に合わせるのであれば、刀を腰に差したり、殺伐としたフォントを使ったりする、いわゆる「黒春香」風の演出は不要だし、逆に、曲調に合わせて黒くするのであれば、別の演出がいくつか不要である。伝わってくる情報がブレている、あるいは情報量が多すぎるのだ。
しかし、春香さんや、アイドルたちの1年間(とその後)の背景を考えると、このブレ方、この情報量の多さこそが天海春香であり、アイドルを表しているのかもしれない。そして、情報量の多さ故に、『TUESDAY GIRL』は何度見ても新しい発見がある。つまり、僕は『TUESDAY GIRL』から「意味シン」を感じたのである。

「意味シン」として見るための前提:男の子の妄想あるいは幻想と『TUESDAY GIRL』

『TUESDAY GIRL』を意味シン的に見るためには、一つの前提が必要である。その前提は、男の子の身勝手な妄想あるいは幻想だと思ってもらって構わない。あるいは、そんなものは人それぞれだよと、切って捨ててもらってもいい。
ただ、僕の思いを書いておく。


女の子は、血を流して、変身する。
あるいは、血を流して変身すると、僕は信じたがっている。


ただし、血を流すことはトリガーには違いないけれど、スイッチのON・OFFみたいに一瞬で切り替わるのではない。女の子は、血を流したとき、心に繭をつくり、数分か、数十分か、数時間か、数日か…、自分と、自分のまわりに起こっていること、起こったこと、たくさんの情報を体にしみこませ、消化するために「さなぎ」となる。そして、ほんの少しの、オートマティックでモラトリアムな時間を経てから、羽化を迎え、以前とはまったく違った姿へと変身する。
その「さなぎ」の、瞬間的で不安定な美しさを、僕は愛しく思う。それは、新しい家に引っ越したとき、新しい家具の配置、新しい動線、新しい環境に慣れるまでの、あるいは、糊の効きすぎたシャツに袖を通したときの、心地よい違和感に似ているかもしれない。


曲中に登場する女の子も、ある火曜日の5時半、繭を身に纏う。そして、その女の子と、(歌い手である)男の子の経験したことが、春香に重なっていく。

火曜日の春香と、1年間の春香と。

さて、『TUESDAY GIRL』は、大きく分けて5つのシーンから成っている。すなわち、
1 コミュ動画でつないだパート
2 モノクロームのダンスパート
3 赤〜紫を乗せたダンスパート
4 セピア調に整えられたダンスパート
5 フルカラーのダンスパート
である。

1 コミュ動画でつないだパート

さんざん言われていることであるが、春香は無個性というレッテルを貼られがちである。そしてそれゆえに、ニコマスでは、プロデューサーの思う春香像や女性像が最も色濃く投影される。言い換えれば、春香とは、プロデューサーという絵の具によって何色にでも染まる、不安定な、白いカンバスである。
つまり、春香はすべての可能性を内に秘めた「幼虫」なのだ。



にっこりとほほえむ春香さん。かわいい。

しょんぼりな表情の春香さん。とんでもなくかわいい。抱きしめていいですよね。

0′6″〜10″ 前奏
ふくれっつらの春香さん。信じられないぐらいにかわいい。いやどうしよう。かわいいなんてもんじゃあないよこれ。反則。目つぶしを食らうぐらいの反則だわ。もう僕には春香さんが見えない。まぶしすぎて見えないんだよ。

アイマスのキャプ画像って罠だね。油断していると動画紹介という目的をすっかり忘れて、ベストショット探しに何時間も使ってしまう。ていうか、春香さんの魅力を余さず静止画で残そうとしたら、とても3枚じゃあ足りない。それくらい、一つの印象にとどまることなく、全方位に魅力を発散している。

…と、春香さんへの思いが高ぶってきたところに、これ。

は、春香さん…!

2 モノクロームのダンスパート & 3 赤〜紫を乗せたダンスパート

一つの例として、27秒から42秒までのシークエンスを挙げてみる。
モノクロームのパート

0′27″〜32″、0′39″〜42″
赤〜紫を乗せたパート

0′32″〜0′39″

彼の部屋に 残した血は汚れた血
火曜日の純情の記憶 彼女の記憶 火曜日のあの娘の記憶(『TUESDAY GIRL』、以下引用は同じ)

まだモノクロームの春香さんに、紅く色がつけられていく。僕はこのシーンから、二つの意味を感じる。
一つは、天海春香という、一人の女の子として。それは歌詞の通り、流血の象徴である。
もう一つは、天海春香という、アイドルとして。それはプロデューサーの絵の具に染められていくことの象徴である。
なぜなら、「女の子が血を流すこと」と、「アイドルとプロデューサーの関係」とは、相似だからである。
「アイドルになる」と決意し、事務所に所属した瞬間、彼女たちは1年間という、オートマティックでモラトリアムな「さなぎ」の時間を、プロデューサーとともに繭の中ですごし、そして、確実に変身していく。
どう変身するかは、本人にもプロデューサーにも誰にも分からない。
分かっているのは、変身することと、それは止めようのない流れであるということだけなのだ。

4 セピア調に整えられたダンスパート


0′54″〜1′15″

記憶探しの旅ばかり しかしいつしか それは妄想に変わっていく
東京の空はいまだ変わらず 現実的に赫く染まる

白いフレームに、ノイズのかかったセピアの映像へと転換することで、1〜3は過去のできごとであることが暗示される。また、使われている元曲の映像は「蒼い鳥」。さなぎから蝶へと変身した春香さんは、恋人、あるいはプロデューサーの元から羽ばたいていったのだろうか。そして、その結末は?

5 フルカラーのダンスパート

フルカラーのダンスパートは、実はワンシーン、1秒だけ。だが、それが『TUESDAY GIRL』と春香の行方に関する答えである。

1′52″
言うまでもない。回転寿司と並ぶニコマスMADの名シーン、天照あずさ神の降臨シーンである。また、あずささんは、これも言うまでもないが、アイドル候補生としては最年長。「大人」の象徴である。そして、映像表現の基本として、モノクロやセピア、ノイズの入った映像=古い・昔、フルカラーでクリアな映像=新しい・今である。
つまり、「太陽のあずさ」から本歌取りし、フルカラーで見せることにより、血を流し、「さなぎ」から羽化して、大人になった春香さんがいるということを、表現しているのだ。
だが皮肉なことに、もしかしたら今は、僕という恋人あるいはプロデューサーの元にはいないのかもしれない。なぜなら、4のパートで、巣立っていったことを暗示させているから。

変わる 彼女の記憶 あの娘の残像
あの娘の流血 あの娘の笑顔
火曜日の記憶 火曜日の残像
火曜日の思い出つくり 火曜日のあの娘の妄想

そして…


2′17″〜23″
一定の距離を置きながら、舐めるように動くカメラに映る春香さんは、何かが終わったかのように無表情でたたずんでいる。
さようなら、僕の記憶の中にだけ存在する、モノクロームの、もう戻らない春香さん。