一読して、風俗店に行って「スッキリ」した後で風俗嬢に説教しはじめるオヤジみたいだなあ、と思いました。

下記リンク先の内容が全て事実という前提で、いろいろ書いていきます。
ほぼ批判で占められています。

タイトルから恥ずかしい

土用の丑の日に、俺はもう鰻専門店でしかウナギを食べないぜ宣言。スーパー、コンビニや牛丼店でウナギを食べるのは正義じゃないよ。減少した資源は一休みして回復に努めるのが人の道でしょ。それができるのが日本人の誇りというものだと思う。

乱獲でトキをいったん国内から絶滅させた日本人を持ち出して「それができるのが日本人の誇り」とかいうのはやめてください。恥ずかしいから。
言葉の裏に「他国人にはできない」という選民思想が見え隠れするので「それができるのが日本人の誇り」とかいうのはやめてください。恥ずかしいから。

ぼくのかんがえたせいぎ

今日の読売新聞朝刊に、三重大学の勝川先生がウナギについて書いている記事が、じつに正論だ。ここのところ、くだらないテレビ番組のウナギ誘導報道に辟易していた身にはじつに小気味よく、読売の良心を感じた。冒頭に書いてあった、水産資源の利用について日本は国際的な批判を浴びている、ということをもっと一般の人が認識すべきだと思う。

ウナギは、絶滅が危惧されるほどにその資源が減ってるんだから、管理をしていかなければならない。だれがみたって当たり前のそのことを、日本の多くのメディアはきちんと表明しない。

リアルスコープ」とか「スッキリ」とか、テレビをつけるとウナギ高騰についてのミスリードを誘う内容で本当に観ていて腹が立つ。やれ「ビカーラビカーラという品種が日本のウナギに近い風味だ」とか「アフリカからウナギを輸入」といったことを報道しているけれども、それはヨーロッパ種やジャポニカ種を枯渇させている張本人としての日本人の責任を問うことなく、他の品種に転換すればいいのダという安易で無責任な発想である。

それを公共の電波で流しているということは「資源が枯渇しそうだけども、ウナギを食べるのは立派な文化なんだから仕方がない」と肯定しているも同然だ、とまで僕は思う。ウナギ資源の減少の原因はまだ未解明とはいえ、最も疑われているのが「日本市場にむけた乱獲のせい」なのだから、その部分を反省することをきちんと流すべきだ。

番組の役割が違います。
その番組(コーナー)は、「ウナギ(やその代替品種)の味・おいしさ」や「食材確保に動く供給側の奮闘」を伝えるものではないのですか?
捏造しているのならともかく、代用種候補の味を確認したこと、アフリカから輸入していること、どちらも事実ではないのでしょうか。
その事実の裏には、うなぎ資源の枯渇という事象があるのでしょう?
乱獲が背景にあることもたびたび報道されていますよね。
視聴者がそのことに全く気付かず、結び付けもせず、ただ「うなぎおいしい」しか感想を持たない生き物だとでもお思いですか?
どれだけ視聴者を馬鹿にしているんですか。
……
今夏も暑い日々が続いていますね。
夕方の報道番組などでは、居酒屋かビアガーデンあたりで酒をおいしそうに飲むサラリーマンの姿が放映されていることでしょう。
このときあなたは「飲酒による身体的・精神的なリスクに触れず、飲酒のシーンのみをたれ流しするとはけしからん」とでも主張なさるのですか?
そういう危険性やらリスクは、別の番組で伝えればいいと思いませんか。

ここで書いていることって、「自分がしてほしい報道だけしろ」ですよね。
どこのおこさまですか。

それにしては、僕は最近もウナギを食べている。資源の枯渇に手を貸しているじゃないか!と言う向きもあるかもしれない。はい、ウナギは大好きだし、食べます。ただし、高嶺の花として大枚払って、年に数回。それによってウナギの食文化も守られるし、養鰻場や専門店も最低ラインとして生き残っていけると思うから。

問題は、スーパーやコンビニ、牛丼チェーンなどで売られる安価なウナギ製品だ。実は日本のウナギ市場のなかで、鰻屋さんで販売されているウナギは全体の2割程度に過ぎない(!)。残り8割は、スーパーなどで販売されているものとなっているのだ。けっこうビックリするでしょ?

今、ウナギを養殖する養鰻業者という人たちが、自前で加工施設をもったりして、蒲焼き加工をしている。しかも冷凍技術が進んだため、作り貯めすることができるようになった。だから、まさにいま迎えた土用の丑の日が終わって、ウナギの相場がガクンと下がる時期に、翌年の土用に向けてせっせと蒲焼きを作り貯めするようになったという。それがスーパーやコンビニ、牛丼チェーンとかに流れている。

ということは、あなたが年に数回、たかだか「大枚」程度しか金を払わずとも専門店でうなぎを食べられているのは、養鰻業者がオフシーズンも加工をすることによって設備の稼働率を上げているからではないのですか?

それにしても、「養鰻場や専門店も最低ラインとして生き残っていける」って、どういう了見ですか。
「最低ライン」って、「うなぎを食べたいから流通だけはさせてくれ、裕福になれるほどの対価を払う気はないけど」と言っているのと同じなのですが。どれだけ傲慢なんですか。

この分は、思い切ってざっくり減らしていいんじゃないでしょうか。なんて書くとかならず「庶民の楽しみを奪うのか!」的なことを言うヤツが出てくるだろうけれども、その庶民が安く楽しみすぎたせいでウナギが世界から減ってるんでしょうが、と返したい。減ったモノは元に戻すという責任をとらなきゃダメでしょう。

わら人形論法ですよね。まさかとは思いますが、この「怒れる庶民」とは、あなたの想像上の存在にすぎないのではないでしょうか?

養鰻業者さんもやっていけなくなるところは当然でてくるだろうが、総量規制することで市場原理的に価格は高どまりするわけで、そこでなんとか生き残ってもらうしかないのではないか。

経営者・従業員とその家族の生計がかかっているのに「なんとか生き残ってもらうしかない」とは何ですか、「なんとか」とは。どこのちきりんですか。
前段、前々段の件も含め、とても「農産物流通コンサルタント」の言葉とは思えません。

日本人はやればできる民族だ、と思いたい。とりあえず俺はもうスーパー店頭ではウナギを買わないよ。高い金を出して「あー 本当にご馳走なんだなぁ」と惜しみながら食べたいと思う。

で、その「大枚」「高い金」っていうけど、

大学の先輩(学部は違うが)でもある○○さん*1にいろいろお話を伺う。

「この相場が来年も続いたら、鰻専門店の多くが潰れますね。いまは、これまでの蓄財をはき出しながら営業しています。仕入れ価格を全部反映して値上げしたら、お客さんに食べていただける金額になりません。だからどこも、逆ざやを出しながら営業しています。」

「蓄財をはき出しながら営業」する金額のどこが「大枚」で「高い金」なんですか。言っていることが矛盾していると感じませんか。この状況、持続可能でもなければ再生産もできないですよね?

言うまでもなく、相場は上がりもすれば下がりもするものです。定価へ安易に転嫁せず、少しでも安く、お客さまにおいしいうなぎを味わっていただきたいという、この店主の心意気、私は素晴らしいと思います。

でも、あなたの倫理観からすると、より大勢の人に食べてもらうため、わざわざ逆ざやを出してまで安価に提供していることは、「悪」ではないのですか?

どっかの番組で、中国で機械生産するスーパー向けウナギの報道をしていたが、蒲焼きを作ることができる機械の礼賛をするより、人が手で串を打って焼く文化を守ることの方がはるかに大事だと思うのだけれども。

どちらも人間の情熱が成し遂げた、素晴らしい仕事だと思いますが。
一方の価値をけなすことでしか、他方の価値を語れない人間のことを「下衆(1の定義で)」というんです。

終わりに

最後になりますが、今の流通システムで、食べる側を「正義じゃない」とか「責任をとらなきゃ」などと、責任論をふっかけるのは無理筋というほかありません。
なぜなら、消費者は基本的に、支払額を積極的に決定する権利を持っていないからです。
うなぎにまつわる現状は、「○○円以下で提供するなら大量に食べてやる」と迫ったから起きたのでもなければ、「金はいくらでも出すからうなぎを食べさせてください」と懇願したのでも、「枯渇しているなら代替品でも何でも持ってこい」と命じたからでもありません。
消費者の権利は、調達され、値付けされたそのうなぎが、価格と見合うなら購入し、そうでなければ購入しないという選択行動だけ。購入の選択が増える=需要が高まることで、供給にそのシグナルは伝わりますが、このとき「生産量を増やして需要量に応える」か「生産量はそのまま(あるいは少しだけ増やして。減らしてという選択肢もある)価値を高騰させる」かを選択できるのは、生産・流通側です。
このような状況で、どうして消費者の責任を声高に主張できるのでしょうか?

もちろん、消費者個々人が自発的に、自らの消費行動を省み、責任を感じるのは、一向に構いません。しかし、それは消費者同士であっても、他人に押し付けられるものではありません。
ましてや、「農産物流通コンサルタント」という肩書きで、生産・流通側にも携わっている人間が発言していいことでは、断じてありません。「生産・流通側の人間は、自分たちで勝手に供給しておいて、いざ資源が枯渇しそうになると『食べる人間も悪い』と責任を転嫁する」と思われかねないことに、お気づきになりませんか。

「高い金(といいつつ、再生産可能な額じゃないというオチまでつくが)払っている俺は偉い」という傲慢さの見え隠れする山本氏こそが、生産・流通・消費の何においても、最大の「悪」ではないかと思った次第です。

*1:原文には店主の名前が書かれていたが、引用の際、筆者にて伏せた