余談

それはそうと、武道の必修化が個人的にいけ好かない理由。
二つあって。

一つは、極個人的な理由。
臭かったから。
使い回しの、汗とカビの臭いが充満した、ばっちい柔道着を着るのが何より嫌だった。肉体的には長距離走がつらかったけれど、精神的には柔道が一番の苦痛だった。自分が嫌で嫌で仕方のなかったことを、下の世代にあえてさせたいとは思わないのだ。

ただ、もしかしたら、必修化となれば、全員が道着を用意するのかもしれない。ならば多少はマシになるけれど。

もう一つは、武道が苦手な子の目標設定が難しいこと。
http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/jyujitsu/1221013.htm

武道は、武技、武術などから発生した我が国固有の文化であり、相手の動きに応じて、基本動作や基本となる技を身に付け、相手を攻撃したり相手の技を防御したりすることによって、勝敗を競い合う楽しさや喜びを味わうことができる運動です。

とあるけれど、武道が苦手な子は負けっぱなしで、「勝つ」という最大の喜びを得ることが難しいのだ。
陸上競技や水泳なら、誰でも「自己ベスト更新」を目標として取り組むことができる。
水泳なら、最初は浮かぶことさえできないところから、5メートル泳げるようになり、10メートル、20メートル、やがて端から端まで到達できるようになり、次はタイムを縮めることができる。
球技も、苦手な子でも「バットにボールを当てよう」とか「ロングパスを蹴れるようになろう」など、細かな克己の楽しさもあれば、チームとして勝つことによって喜びを味わうことが可能だ。

しかし武道は、苦手な子は負けっぱなし、という可能性が高い。
柔道でたとえると、「一応は投げたけれど、投げの形が不十分でポイントにならない」とか、そもそもそこまでいかない。
相手の体も崩せない。
投げられっぱなし。
固められっぱなし。
受け身は、自分でない、強い誰かに「勝つ喜びを与える」ために身につけるもの。
「勝敗を競い合う楽しさや喜びを味わうことができる」というけれど、負けることもあれば勝つこともあって、初めて「勝敗を競い合う喜び」が生まれるのではないだろうか。

武道を必修化するのであれば、このネックをクリアして、成長の喜びをどう味わわせるかが肝要なのかなあ、などと思ったりしています。