「日本を新型インフル渦に陥れる毎日新聞の無責任体制 - kentultra1の日記」のコメントとして

kentultra1様
丁寧なお返事ありがとうございます。大変恐縮しております。
以下、いただいたお返事について、いくつかコメントをしたく存じております。

kentultral1様が読売の見出しを問題なしとした理由について(「感染者なし」と「全員陰性」の差異とは)

不当な偏りが生じないよう、一応Webで,朝日、読売、産経はチェックしたのですが、日経は見落としていました。ご指摘ありがとうございます。

こちらこそ、恐れ入ります。お役に立てたようでしたら幸いです。

ところで、メキシコ便の機内検疫について、kentultra1様が朝日、読売、産経それぞれチェックされただろう記事を、私も読んでみようと思い、ニュースサイトを探してみました。

産経は残念ながら見つかりませんでしたが、朝日は
"メキシコからの直行便が成田着 亀田和毅選手も帰国"
という記事が見つかりました。

一方、読売なのですが、見出しを読みますと、
"メキシコなどから日本到着便、機内検疫で「全員陰性」"
となっております。

「感染者なし」と「全員陰性」、どちらも、kentultra1様の言葉を借りて申し上げれば、

この便の乗客はシロ。彼らはウィルスを日本に持ち込まなかった」という認識を持ったとしても、この記事では仕方がない。

というものではないかと感じましたが、なぜkentultra1様が読売の「全員陰性」という見出しを取り上げなかったのかが、私には今ひとつ分かりません(というか、「全員陰性」という見出し、まるで乗客全員を検査したみたいですよね)。

もしよろしければ、「感染者なし」と「全員陰性」にどのような差があり、毎日を取り上げ読売は取り上げなかったのか、そのお考えをちょうだいできたら、うれしく思います。

なお、私の勘違いでなければ、確かに「感染者なし」と「全員陰性」では、厳密にはニュアンスに若干の違いがあります。「全員陰性」は、検査の結果、陽性反応は出なかった(感染しているかもしれないが、感染マーカーが閾値未満のため検査にかからない)、「感染者なし」はその通り、感染していない、という意味となるわけですから。

しかし、これは誰もが知る一般常識ではない、とも思っております。
新型インフルエンザについて、ウイルスなのに「保菌者が云々」といったコメントをちらほら見ますが、ウイルスとバクテリアの違いも知らない人が多いなか、「感染者なし」と「全員陰性」の差を社会生活の中で共有できているとは、到底思えないからです。

ましてや、言葉の端を読者が敏感に受け取り
「機内検疫で感染者なし」と書いてあったから、あの飛行機に乗っていた人は大丈夫、という空気が醸成され、一方で
「『全員陰性』ということだけど、本当は侵入しているかも」という空気が醸成されるとは、想像がつきません。
(厳密な定義はともあれ)その意味で、やはり毎日と読売の見出しにどのような差があるのだろうかと、首をひねってしまうのです。

ところで、

まったく誤った情報を報道した結果、空港の機内検疫を通過すれば大丈夫という誤った空気が醸成され、潜伏期間だった感染者が自重せずにラッシュの電車やイベントに赴いてウィルスをばらまいたらどうするのか。また帰国者の周りの者も、空港の機内検疫を通過した事を感染なしと誤認して注意を怠って感染したらどうするのか?

という点について、繰り返しますが、毎日のこの記事1本で警戒を緩めるなどということは、ありえないと私は考えております。なぜなら、マスコミも政府も世間一般も、今回の問題について、絶えず危機感を訴え続けているからです。

なるほど、あるいはどういうわけか、毎日新聞のこの記事のために突然世間の警戒心が緩み、必要な対策を放棄した結果、新型インフルエンザが流行するという可能性も、あるかもしれません。しかしそれは、どの程度の確率で起こるものでしょうか?

つまりは、

1 これだけ周囲が危機感を煽っている中
2 たまたまうっかり者が毎日の見出しだけを読んで
3 本文も見ずに(本文には「40代の日本人男性1人が発熱を訴えたため、機内でインフルエンザの簡易検査を実施したが、陰性だった」と書いていますものね)「機内検疫で『感染者なし』だというなら帰国者には何の問題もないぞ」と考えて
4 しかもそんなうっかり者がたくさん現れて、
5 世間の空気が一変する

または、
4 そんなうっかり者が、たまたま感染者のそばにいて、
5 本人(当の本人が、最も気を使うことでしょうね。これだけさんざんアナウンスしているので)や周囲の懸念をよそに「大丈夫!大丈夫!」と連れ出しまくる

さらに言えば、kentultra1様は読売の見出しについて、何も述べていないということは、

6 そんなうっかり者でありながら「感染者なし」と「全員陰性」の違いは分かる

…とは、どういった世間、あるいはどういった確率を想定しているのだろうか、と疑問に感じてしまうのです。


何というか、あまりにもゼロリスクを追いすぎているのではないか、とも思いますし、一般論として、ごく小さなリスクをもって「もし〜ならどうするのか」と糾弾するのは、下手をすると詭弁になりかねません。
(後述しますが、小さなミスを潰そうとすると、コストを思い切り上げてしまうこともあるのです)

なお、もしkentultral1様がチェックされた読売の記事が、別のものであれば、その点ご連絡いただけるとうれしく思います。その上で、読売の見出しについて、どのようにお感じになられたか、お伺いできれば幸いです。

毎日の見出しのみを問題視する理由について(信頼の程度という意味から)

日経も同罪だと思います。ただし、見出しは記事の凝縮された要旨であり本文より圧倒的によく読まれる(これは読売が見出し無断配信裁判で主張していた通りで、実際新聞社は見出しには力を入れていると考えています)事を考えると、見出しで錯誤を書く方がより重大な意味があり、実際の影響も大きく問題は深刻と思います。

という点について、まず、元コメントにも書きましたように、

4/30付けの日本経済新聞(14版・31面)でも”機内検疫「感染の疑い」はゼロ”という見出しが付けられています。

であることは指摘しておきます。

次に、

さらに付け加えるなら、経済関連以外の日経記事の信頼の程度を斟酌すると、信頼への裏切りという意味でも毎日の方が悪質と私は考えます。

「記事の信頼」という数値にしづらい評価については、日経、毎日、読売のそれぞれがどの程度のものなのか、私には何も申し上げることはできませんが(あえて私見を申し上げるならば、経済関連以外の日経の記事と毎日のそれとでは、まあ同等程度の信頼度を持っているとは思いますし、読売と毎日も、どっちもどっちとは思いますが、それはさておき)、少なくとも読売新聞は「発行部数」という定量的な面で日本一=世界一ですので、kentultra1様の言葉を借りるならば、多数の読者への裏切りという意味でも読売新聞の方が悪質、ということになるのではないかと感じるのですが、kentultra1様はいかがお考えでしょうか。

もちろん、読売の見出しは問題なく、毎日だけが問題とお考えなのでしたら、それはそれで結構です。


※最初のコメントから繰り返しますが、見出しに生じる誤差については、後述の理由によって私はある程度は許容している、あるいは、諦めております。

ここから少々、どうでもいい話

なお、言うまでもないことですが、この「発行部数」の比較に東スポやゲンダイ、夕刊フジなどの、いわゆるタブロイド紙を含めるつもりはありません。前述の三紙とは、明らかに記事の信頼度で劣るからです。

この点、定量的には出しづらいことですが、思考実験として、それなりに名の通った、「大学生の就職希望ランキング」で上位にランクインするような企業の社長が真顔で「日経より東スポの方が記事の信頼感は高い」と発言したら、間違いなく内外からの信用を失うのだろう、という想像から導き出しておきます(余談を重ねて申し訳ありませんが、限定条件をつければ、東スポの方が信頼度は高い、と発言しても差し支えない企業も、あるかもしれないことは申し伝えておきます。例えば、想像にすぎませんが、プロレス興業主や風俗店経営者など。それゆえ「それなりに名の通った、「大学生の就職希望ランキング」で上位にランクインするような企業の社長」という前提を付けておきました)。

さらに申し上げるならば、例えば同じ社長が日経、毎日、読売を比較して記事の信頼感を論じても、東スポほどに信用は上下させないだろう、という想像も付け加えておきます。

−−閑話休題

毎日や日経が「誤り」、朝日が「誤らなかった」理由について

そして、このような見出しについて、kentultra1様は

原稿が妥当かどうかを精査するデスク機能が、毎日新聞社にあるのなら、なぜこういうデタラメ記事が続けざまに出てくるのか。委員会を通じて記事内容が常にチェックされるなら、どうして一般常識以下のトンデモ記事が連続して出てくるのか。上司が自らの媒体の内容を把握しているなら、どういう理由で記者のミスや暴走が野放図になっているのか。

とおっしゃっていますが、ではなぜ、今回日経(や、「感染者なし」も「全員陰性」も同じ印象を与えるのであれば読売)も、kentultra1様がおっしゃる「一般常識以下のトンデモ記事」を出したのでしょうか?

最初に私が感じましたのは、ではこれを「ミス」だとしても、問題なのは「連続して出てくる」ことであり、そこにkentultra1様は、日経(や読売)と、毎日との差を見出しているのではないか、という仮説でした。
このあたり、本当に統計的な有意差があるのか、私には分かりません。人間の主観で「連続して出てくる」ように感じても、それは案外「自分が見たいものだけ見ているから、そう感じる」だけなのかもしれないからです。もちろん言うまでもなく、kentultra1様がそうだと申し上げるつもりは毛頭ありません。

とはいえ、ここは毎日新聞にミスが多い、という仮定を受け入れてみます。

ところが、改めてkentultra1様の元エントリを読むと、

記者とて人間であり、ミスはするだろう。だが彼らが作っているのは小学校の学級新聞ではない。多くの国民が信頼を置き、実社会に甚大な影響をもたらす大新聞なのだ。「だって間違えたんだもん」などと子供のような言い訳が通じない、通じてはならないのだ。

そのために、報道機関は記者による自己チェックはもちろんのこと、念入りな他者によるチェックを必ず経なければ記事が表に流せない仕組みにする。組織で仕組みを作る事で個人のミスを結果に残さず、組織として記事の質を保証するものだ。そのための組織であり、それが組織としての信頼のはずだ。

ということですから、やはり新聞社という組織においてはこの「ミス」をつぶせて当たり前、つぶせないのは組織に問題がある、というご意見のようです。すると、やはり私はkentultra1様へ問わなければなりません。

なぜ毎日と日経(と読売)は、kentultra1様が言う「まったく誤った情報」の見出しをつけて、朝日(産経は不明)はつけなかったのでしょうか?

「毎日、日経(、読売)」というグループと「朝日(、産経)」というグループに、どのような差があるのでしょうか?

感染者が見付からなかったという事は大して意味がある事ではなく、見出しに入れるべきものではないからです。さらに、検疫通過=無感染という誤解が生じる事も十分に考えられるので、記事本文ではその誤解を廃する内容を付記すると思います。

という点について、毎日も日経も読売も行っておりません(誤解を廃する内容云々については、朝日も行っておりません)が、

このような事は当たり前の事だと思いますが、毎日でそれが出来ていないのはまず記者自身がこの誤解に侵されていたため根本が狂っており、そしてチェックがなされていないため、狂った記事がそのまま世にばらまかれたのだと思います。

というご指摘については、では読売も日経も(朝日も)同じく、記者の根本が狂っていて、(記事を読んでいないので分かりませんが)産経の記者は根本が狂っていない、というお考えと受け取ってよいのでしょうか。

そして、ほぼすべての新聞社の体制に歪みがあるとお考えでしたら、新聞社という存在自体に疑問を投げかけるべきかと存じますが、なぜ元エントリにて、毎日の体制のみを批判されたのでしょうか。

※これも前コメントより繰り返しますが、誤解を廃する云々というのは、ニュースに載せるのではなく、社説などで訴える内容ではないかと、私は考えております。


なお、僭越ではありますが私見を申し述べてみたいと思います。あくまで想像ですが、kentultra1様の言う「見出しの錯誤」を3紙が行い、1紙が行わなかったのは、組織が機能しているか・いないか、などといった話でなく、文字で伝えること・要約することの限界にたまたま触れたか・触れないか、ということではないかと感じております。

言葉の限界と要約の限界について

ある事象を文字や言葉にして、なるべく誤解や錯誤のないように表現する、というのは、本当に難しいことだと感じております。残念ながら私には文才がないため、自分の思いを誤解や錯誤のないように伝えようとすると、限定・付帯条件や補足などがどうしても次々に連なってきてしまい、このような、長文になってしまいます。長文ゆえに、かえって伝わりづらくなっていることは明らかであり、本当に申し訳なく思うのですが、ご容赦いただくほかありません(言い訳になってしまいますが、これでもかなり省略しているのです)。むろん「文才もないのにコメントするな」といったご批判は、甘んじて受けるつもりです。
そして、これだけ文字を費やしても(あるいは、費やした故に)、やはり誤解は生じてしまいます。

例えば、kentultra1様は、私の拙文を、以下のように要約されています。

「報道の記事・見出しは、迅速・簡潔のために錯誤・誤解誘発は許される」というお考えには、まったく同意しかねます。

これは、もちろんそう読み取られるような文章しか書けない私に非があるのですが、しかし私の思いからすると、心外というほかありません。

最初のコメント、

見出しにも本文にも文字制限がありますし、どこかを省略しなくてはならない以上、これは問題ない範囲ではないかと、私は感じました。

の「問題ない範囲ではないか」という言葉にあるように、私としては、「報道の記事・見出しは、簡潔化のためにある程度錯誤する場合があるが、それは、見逃してはいけない(問題にするべき)大きな錯誤と、許容する錯誤・限界ゆえに諦めざるを得ない(問題視するまでには至らない)錯誤とがある」ということを申し上げたかったのです。

問題となる簡潔化とは。
例えば極論ですが、省略のあまり、件の見出しから、最後の「なし」を取って

新型インフル:メキシコからの直行便、成田着 感染者

などとしてしまったら大問題です。その便からは感染者など確認されていないのに、これでは感染者が確認されたようにしか読み取れないからです。

一方で「感染者なし」。なるほど、もしかしたら本当は感染者がいるのかもしれません。しかし少なくとも記事が出た時点で「当該の便の乗客において、感染者として確認された人はいなかった」のです。

言うまでもなく、例えば検査に引っかからなくても記事が出るまでに発症した、あるいは陽性が確認された人がいた、ということだったら、誤報です。
しかし、記事が出た時点では、そして今もだと思いますが、感染者はまだ出ていません。
(当該の便の乗客から、メキシコ由来の感染者は今後も絶対に確認されない、と主張したいわけではありません。念のため)

また、本文では感染者なしではなく、きちんと「40代の日本人男性1人が発熱を訴え」たが「陰性だった」、「陰性と判明」と書いていること。

さらには、上述の通り、このご時世に、毎日新聞の見出しのみを読んでメキシコなどからの帰国者を「大丈夫」とする空気が醸成されるとは、到底思えないこと。

…などから、あくまで私見ですが、アウトかセーフかというなら、セーフだろう、と考えた次第です。

錯誤の許容とリソースについて

なぜ、セーフという、「許容・諦めざるを得ない錯誤」を私が設定しているかといえば、それはもう、言葉や新聞に、物理的な限界があるから、としか申し上げようがありません。そしてそれゆえに、「メディアリテラシー」という概念があり、その限界をわきまえた上で読み取ることが必要だ、とも考えております。

メディア・リテラシー - Wikipedia

メディア・リテラシー 2.1 物理的な制約 - Wikipedia

確かに、誰からも誤解されない、それでいて的確に内容を要約できている、「完璧な」本文あるいは見出しというものが、締め切りの時間内に毎回必ず作れるのなら、問題はありません。素晴らしことでしょう。
しかし、これも私見ですが、それはどれだけ努力しても、どれだけ衆知を集めても、プロのプライドをかけても、無理だと考えています。
なぜなら、有限の言葉で表現できる内容には限界があるからです。まして、見出しはさらに内容を要約しなくてはならないのです。
さらには、時間の制約や予算(人員を無制限に用意できない)の制約もあるのですから。


kentultra1様のご指摘の通り、

>記者とて人間であり、ミスはするだろう

というのは、全くの同意です。
しかし、

多くの国民が信頼を置き、実社会に甚大な影響をもたらす大新聞なのだ。「だって間違えたんだもん」などと子供のような言い訳が通じない、通じてはならないのだ。

報道機関は記者による自己チェックはもちろんのこと、念入りな他者によるチェックを必ず経なければ記事が表に流せない仕組みにする。組織で仕組みを作る事で個人のミスを結果に残さず、組織として記事の質を保証するものだ。
多くの国民が信頼を置き、実社会に甚大な影響をもたらす大新聞なのだ。「だって間違えたんだもん」などと子供のような言い訳が通じない、通じてはならないのだ。

「だって間違えたんだもん」はともかくとして。
「念入り」とは、どの程度「念入り」な他者チェックを行えば、個人のミスを(許容できる範囲内で)結果に残さなくなるとお考えなのでしょうか?

(ちなみに、"組織で仕組みを作る事で個人のミスを結果に残さず、組織として記事の質を保証するものだ。""「だって間違えたんだもん」などと子供のような言い訳が通じない、通じてはならないのだ。"といった言葉の強さから、ついつい「新聞社のミスは全く認めない」という意志の現れと勘違いしてしまいますが、まさかそんなことは考えていらっしゃいませんよね?念のため。もちろん、これにはお答えいただかなくて結構です)


毎日新聞のチェック体制がどうなっているか、私は知りませんが、現状でも、おそらくはデスクや編集長、校閲係、見出しであれば(整理記者という人が見出しを考えるんでしたっけ?違っていたらごめんなさい)元記事を書いた記者などといった「他者」が必ずチェックしていることでしょう。
(その上で、なんで永久機関のような記事が出たのか、私にも本当に謎であり、あほらしいと思うのですが、それはともかく、本題に戻すと)

では、ここにさらにもう一人チェックする人間が追加されたら、「感染者なし」という見出しにならなかったかというと、分からないのです。なぜなら、追加されたのは、「ミスをする存在」である人間だからです。この人間は、「感染者なし」という見出しが不適切と指摘するかもしれませんが、スルーするかもしれないのです。

では、もう一人増やす? でも、そのもう一人もスルーするかもしれないのです。まして、日経や読売も、類似の見出しをふつうに付けているのですから、スルーされている可能性は大です。

結局、チェックする他者を何人増やそうが、「ミス」(何度もしつこく繰り返しますが、私は今回の「感染者なし」について、大きなミスだと考えていません)が結果に残るときは、結果に残ってしまうのです。
一方、人数を増やせば、増やしただけのコストがかかります。人的リソースを無限に使えるならともかく、予算がある以上、限られた中でやりくりするほかないのです。

ならば読者である私は、読者として新聞・メディアの限界を知り、限界の範囲内で活用する、という向き合い方が必要ではないかと考えているのです。

改めて、言葉の難しさと、限界について

また、

自分は文筆業でもマスコミでも何でもありませんが、客の手元に届く文章を書く事もあります。その際、一瞥して要旨は正しく伝わり少なくとも誤解を生じさせず、精読しても一語一句誤りがないように心掛け、またそのように他者チェックを行っています。素人ですら、商品そのものでない文章ですら、こうした事は当たり前と考えていますが、プロが商品そのものとして書き何百万人が信頼して読む文章については適当でよいという考え方は、その根拠が想像できません。

という点について、一文、一語に向けるそのお心掛け、その理想、大変貴重なものと存じますし、私も改めて、衿をただす次第です。

その上で一つ、申し上げたいのは、前述の通り、むろん適当(この場合の「適当」とは、文脈から「いいかげん」の意味で使われているものと受け取っております)でよいなどとは、私も全く考えていないということです(当然、新聞社の人たちも、そんなことは考えていないでしょうしね)。ここの誤解だけはぜひ解いておきたいと思います。
(というより、私の文章のどこをどう読まれて「適当でよいという考え」だと受け取られたのでしょうか?そんなつもりは毛頭なかったもので。これもすべて、私の文章力のなさに起因しているのですが、後学のためにもご教授いただけましたら幸いです。もちろん、無視されても一向に構いません)

これも繰り返しますが、どれだけ真摯に努力しても、言葉は言葉という道具の限界故に、その限界を超えることはできないのです。
だから代わりに、読者なるべく事実に近い内容を読み取るため、「読み取る力」を身に付ける必要があると考えています。

そしてもう一点、申し上げたいのは、そこまでkentultra1様が精査した文章、要旨であっても、どうしても誤解は生じてしまうのだということです。

kentultra1様のエントリは、いくつか拝読したことがありました。その際、今でも印象に残っておりますのは、こちらの見出しです。

永久機関はネタじゃ済まない悪質マルチ?そして真の詐偽は…毎日だった件。

ホットエントリか何かに上がっていたのを見たのだと思いますが、最初に感じましたのは、「何で『詐欺』(巧みにいつわって金品をだまし取ったり、相手に損害を与えたりすること。あざむくこと。ペテン) ではなく『詐偽』(真実をいつわること。いつわり)を用いているんだろう」
ということでした。
私自身、誠に単純な思考回路で申し訳ないのですが、永久機関といえば詐欺、マルチといえば詐欺(つまり、誰かが金を欺し取る)という印象でしたし、「詐偽」よりも「詐欺」の方が世の中でも見かける頻度が高いと(勝手に)思っていましたので、「詐欺」の打ち間違いでなければ、きっと、「詐偽」をあえて使う理由が何かあるに違いない、と考えながら読み取ろうとしたのです。

ところが、最後まで読んでも「詐偽」を使用した理由が分からず、むしろ単に「詐欺」の打ち間違いだったのではないか、という疑惑が濃くなっていったところ、追記で

タイトルで「毎日が詐偽」っていっているのは、今回のマルチ詐偽一件の事ではない。あれだけ大々的に反省をした振りをして生まれ変わったと宣言しておきながら、実態は相変わらず無チェック体制を続けて現実に一例としてこんな記事が載る危うい新聞であるにも関わらず、読者やスポンサーに対して信頼できる情報源という嘘・虚像で騙して金を取ってる事ブコメで誤解があるようなので、一応。

(引用中、強調は私による)

と書かれていたので、ここで「詐欺」と「詐偽」を打ち間違えていたことが、私の中で確定した次第です。

誤字をもって揚げ足を取るつもりなど毛頭ありません。また、間違えているからけしからんなどと言うつもりもありません。誤字脱字勘違いなどは誰にでもあることですし、文脈的にも、kentultra1様が主張したいことに対して、そう大きく外れるものではないからです。

ただ、……申し訳ありません、本当に揚げ足を取るつもりはないので、誤解されると困るのですが、もし私が見出しだけしか読んでいなかったら、「詐欺の打ち間違いでないなら、ホラフキにだまされたか知っていて乗っかったかで、嘘いつわりを書いちゃったのかね」と思ったままだったかもしれません。実際、前述の通り、そういう視点で読んでいましたから。kentultra1様の言う「読者やスポンサーに対して信頼できる情報源という嘘・虚像で騙して金を取ってる事」まで糾弾しているかどうかは、見出しだけではいまいち想像がつかない、といっところでしょうか。

すなわち、誠に残念ながら、少なくとも私に対してこの見出しは
「一瞥して要旨は正しく伝わり少なくとも誤解を生じさせず」
という目的を達し得ていないのです。
何しろ、追記でも強調されていた「読者やスポンサーに対して信頼できる情報源という嘘・虚像で騙して金を取ってる事」をという、最も大事な要旨を、私は読み取りきれなかったのですから。

−−

一方、
新型インフル:ウイルスは弱毒性 田代WHO委員
という見出しについて、私は「新型インフルのウイルスは弱毒性(だと)田代WHO委員」と、現状での事実ほぼそのものと考えたのですが、同じくブックマークにて、kentultra1様は

はてなブックマーク - 新型インフル:ウイルスは弱毒性 田代WHO委員 - 毎日jp(毎日新聞)

kentultra1 これはひどい, 死ね 無責任な煽り見出し。PV集めしか考えぬ無責任の極み。読者が警戒を緩めて、メキシコのようにバタバタ死人/過剰反応はNGだが感染防止がその下位?大事なのは誤解を生じさせぬ事。田代氏もそこを慎重に述べてる>id:amamako

と書かれており、これには正直、驚いてしまいました。事実を見出しにして「無責任な煽り見出し」「PV集めしか考えぬ無責任の極み」と読まれてしまうのであれば、もう何も書くことはできないのではないでしょうか。そして、これではまるで、警戒を緩めさせないため、新聞社は事実を見出しに掲載してはいけないと主張されているようにも読み取れてしまします。

実際、ブックマークコメントでも、おそらくはkentultra1様のコメントに対して、次のような反応が出ております。

doumoto どうでもいいヌタ, ┐(´ー`)┌。 毎日新聞が何を書いても気に入らない人は、他の新聞を読めばいいのに。(´ー`)y-~~。 2009/04/30

amamako id:kentultra1が酷い。今回のインフルエンザに関して言うならば、一番の恐怖は"過剰反応"。既に過敏になりすぎていることによって多大な経済的損失が出ている。必要なのはリスクを適切に見極め、比較検討すること 2009/04/30

kentultra1様が言葉について、見出しについて、どう受け止められるかは自由です。しかしながら、少なくとも上記の点について、何となしに温度差があること、また、言葉というもののある種の限界をお感じいただけましたら、と思う次第です。

おわりに

要点としては、

1 毎日はNGで読売はOKな理由は何でしょうか?

2 私は「限られた時間と限られた予算と限られた文字数を用いる以上、誤読は防ぎようがなく、ミスは少ないに越したことはないにせよやはり100%は防ぎようがないので、読者側で読み取るときに注意したい」と考えていますが、kentultra1様はどうお考えですか?
といったところです。

2については正直申し上げて、kentultra1様が「いや、自分は許容しない」というのでしたら、それでおしまいの話ではあります。完全に価値観の違いでしょうから。
ただ、kentultra1様が疑問に思われていた(と私は読み取った)、「なぜ許容できるラインがあるのか」については、ご説明できたのではないかと思います。

最後になりますが、大変な長文になりましたこと、重ねて、深く深くお詫び申し上げる次第です。

追伸

余談も余談、今回のこととは直接関係ないのですが、私、毎日新聞が好きか嫌いかで言えば、大嫌いです。
以前、事実関係のでたらめな、いいかげん極まりない記事によって、私に関わりのある人たち、並びに私もですが、ひどいめに遭ったことがあるからです。そのとき、私は半泣きになりながら抗議の電話を入れたものでした。
結果、直接の謝罪も、謝罪記事もありませんでしたが、比較的正しい内容の記事を、すぐ後に掲載していただきました。きっとあれが、毎日新聞という会社組織にとってできる、いろんな意味での最大限の謝罪だったのでしょう。
懐かしく、しかし、胸がちくっと痛む、そんな思い出です。

今回の内容について、そういった私情は廃したつもりですが、もし毎日新聞に対してのみ厳しいことを書いているようにとらえられましたら、私に非があります。ご容赦ください。