待ちぼうけの教訓
実体経済に(悪)影響が出ていること、また、この状況を何とかしたい誰かがいるだろう、という面については僕も概ね同じ印象である。
その上での、感想。
たしかに街の人出は少ないし、歩いている人も大半がマスクを着用している。学校が休校なので、電車もがらがらである。
現に、感染力の高いインフルエンザが蔓延して全国に拡がりつつあり、行政当局が「外出を自粛し、手洗いうがいを励行せよ」とアナウンスしているのを「そのまま」遵守している市民をつかまえて「騒ぎすぎだ」と言うのはどうであろうか。
「そのまま」遵守しているというけど、そのままじゃない。
厚生労働省は、「今回の新型インフルエンザに関しては」健常者でも感染予防のためにマスクをしろ、などとは言っていない。
せきやくしゃみが出たら、あるいは、発症したらマスクをしろ、と言っているのである。
インフルエンザかな?症状がある方へ|厚生労働省
・マスクを着用してください。
咳、くしゃみが出たらマスクを着用しましょう。また、家庭や職場でマスクをせずに咳をしている人がいたら、マスクの着用をすすめましょう
・発症したら、マスクをして感染が広がらないようにしましょう。
マスクを着用している人が全員、くしゃみやせきの症状が出ているのなら別だが。
とはいえ、確かに、厚生労働省の特設ページから、
私たちにもできる新型インフルエンザの身近な予防策
という映像がリンクされていて、ここにはマスクの着用に関する言及もある。
4分15秒
お住まいの地域で感染が確認された場合、外出に当たってはマスクの用意を心がけましょう
4分37秒
また、混雑している電車やバスを利用する際には、マスクを着用することを心がけましょう
など。
だが、例えば1分58秒のところ、「新型インフルエンザ出現への経路図」の画像を見る限り、今回のインフルエンザ(豚由来のウイルスの変異)ではなく、高病原性インフルエンザ(鶏由来のウイルスの変異)を想定しているように見える。この映像、鶏インフルエンザが騒動になった時期に制作して、冒頭だけアナウンスを足したのではないだろうか。
強毒性のインフルエンザであれば、もし発症した場合、弱毒性と比較して命を落とす確率も高くなるので、何が何でも、ほんの少しでもリスクを減らしたい、という場合は、予防的なマスクの着用も、一つの手段かもしれない。
もっとも、その後(4分46秒)
患者の周囲の健常者がマスクをした場合の感染予防効果は明らかではありませんが、一定の効果は期待してよいでしょう。
と、予防効果については言葉を濁している。要は「マスクの着用と未着用とで有意な差はないけど、障壁1枚多くするのだから、まあ効果がなくもないんじゃね?」というところなのではないか*1。
でも、街の人々は自前でマスクを買って着用されており、自己負担で感染を予防されているのである。
これを「模範的市民」と呼ばずに何と呼ぶべきか。
緊急性もないのに、無駄にマスクを買い求めることで出回り量を減らし、本当にマスクを必要とする人=発症者に行き渡らなくなって、結果として感染を広げてしまうのであれば、はたしてそれは「模範的」なのだろうか。マスクは無限の資源ではないのだ。
「マスク 売り切れ」でぐぐってみる。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2009/05/21/02.html
http://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20090519/200905190849_7904.shtml
実際、結構な数のお店で、マスクが売り切れているのだろう。
個人的には、通勤ラッシュの電車内のような、ばかみたいに人口密度の高いところであれば、予防的なマスク着用もアリだけど(目の前の人間にくしゃみやせきをされたら、何とも気分が悪い)、それ以外で着用してもしょうがないんじゃないかな、とは思っている。
一方、自分が実はウイルスに感染していて、潜伏期かもしれないからマスクをする、という考え方もあるかもしれないが、別にウイルスは湯気のように立ち上るわけでもなく、くしゃみなどのとき、一緒に飛び出ていくので、マスクを常時着用しなくても、ハンカチや袖でしっかりカバーすれば、まあいいんじゃね?という感じである。
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話を元に戻す。
だが、「感染のリスクが高いから外出を自粛してください」という公的アナウンスを解除するときに可能なロジックは「感染のリスクが低下しましたので、外出してもいいです」以外にはない。
「感染のリスクは引き続きありますが、みなさんがじっと家にこもっていると、モノが売れないので、外に出て、消費活動を始めてください」という言い分は論理的には成り立たない。
ご自身で「疫学についても医学についても何も知らない人間」とおっしゃってもいるし、仕方がないのだが、これについては認識違いをされていらっしゃる。
問題は感染のリスクが高いか低いかではないからだ。
例えば、あえて極論を言うと、これがもし、元来想定していた強毒性なんてものじゃなく、超強毒性で、発症したが最後、10分で死に至るような性質だったら、逆に感染リスクは低くなる。なぜなら、ウイルスをまき散らす期間が短くなるからだ。
(じゃあ、感染リスクが低いから外出できるかというと、それは分からない。行動に見合ったベネフィット、あるいは行動を自粛することによるコストがどの程度あり、どちらを取るかによるからだ)
今回、解除されるべき公的アナウンスは「症状の重さや死亡のリスクが高いから外出を自粛してください」という点であり、そのためのロジックは「症状の重さや死亡のリスクが、最悪のケースを想定していたときよりも低くなっています」である。そして言うまでもなく、当初想定されていた強毒性ではなく、現状は弱毒性なのだから、最悪のケースの場合よりは、外へ出てもいい、かもしれない。
論理的には確かに成り立つのである。
ただし、言うまでもないが、強毒性ではないとしても、新型インフルエンザはそこそこ危険な疾病でもある。どれくらいの死亡率になるか、そして、対策をどう変更していくか、注視しなくてはならない。
「公衆衛生」か「経済活動」という比較考量しがたい二者択一を迫られるような機会がときには訪れる。
「インフルエンザの蔓延も困るが、経済活動の停滞も困る。さて、どちらがより困った事態か」という類の「究極の問い」に当惑するというのはごく自然なことである。
僕が今、ぱっと思い浮かぶのは中西準子先生であり、ほかにも日本国内・国外問わず大勢の優れた研究者がいるのだが、その「究極の問い」を究極でなくすために、リスクの定量化という学問が、進んでいる。
余談だが、新型インフルエンザに関する、中西先生の現状の考察は、以下のページに記されている。
http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak471_475.html#zakkan474
「マニュアル」は存在しないが、その代わりに私たちには「物語」がある。
ハリウッドのC級映画では「ゾンビも怖いが、死なない兵士も捨てがたい、さて、どちらを取るか」とか「アナコンダも怖いが、不死の蘭エキスはぜひ手に入れたい、さてどちらを取るか」といった「究極の問い」をめぐってしばしばドラマが展開する。
これらの映画にだいたい共通する教訓は、「我が身の安全よりも、利益を選んだ人間はたいへん不幸な目に遭う」ということである。
私はこういう種類の説話原型の含む人類学的知見に対してはつねに敬意を以て臨むことにしている。
僕も「物語」を知っている。
「木の根っこの前でウサギがぶつかるのを待っていたら、時間も田んぼも失った男の話」とか、「『腹を裂いたら金がザクザク出てくるんじゃね?』と妄想し、ガチョウを殺したが金も手に入らなかった話」とか。
これらの物語にだいたい共通する教訓は「冷静にコスト・リスクとベネフィットを判断できない人間はたいへん不幸な目に遭う」ということである。
私も内田先生のひそみにならい、こういう種類の説話原型の含む人類学的知見に対してはつねに敬意を以て臨むことにしよう。
余談
メディアの一昨日あたりからの論調は「それほど毒性の強いインフルエンザでもないらしいのだから、あまり騒ぎ立てずに、柔軟に対応するほうがいい」というものである。
休校やイベントの中止が続くと市民生活に影響が出るから、「自粛するのを自粛せよ」というものである。
国内で新型インフルエンザで死者が出たら、論調はまた変わるとは思うけどね。
いずれにしても、だ。
http://sankei.jp.msn.com/life/body/090514/bdy0905142144008-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/body/090521/bdy0905210034000-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/life/body/090521/bdy0905210037001-n1.htm
ひどい話だ。
*1:そもそも、「マスクを着用しよう」という見出しがないあたり、推して知るべしという感もある